【有翼狼の伝説 第二章・誇り高き放浪者 10


 エアハルトは、森の入り口近くの草むらで一頭のミュール鹿が草を食んでいるのを見つけた。これから、今まで越えてきたよりも遥かに高い山を登ることになる。この森を過ぎると草原、その上には草も生えていない残雪の荒地、更に切り立った岩峰がそびえている。それらを登りきるために、まずここで腹ごしらえをしておく必要がある。
「うむ。あれぐらいが手頃だな」
それまでの穏やかな観察者の目を獰猛な捕獲者の瞳に変え、牙を剥きながらエアハルトは獲物へと急降下していった。


「この森の木は葉が細く尖っているな。……風の音さえ違っている」
ヴァルトの森では風が木々を揺らす音はサワサワやザワザワという音だった。だがここではギシギシと鳴っている。それに下草の苔やシダのせいだろうか、薄暗くひんやりとした空気の、森の香りが強い。エアハルトは、ヴァルトの森や今まで通ってきた森との違いを楽しみ、時折わずかな日の差し込みに花を咲かせているのを目を細めて眺めながら、緩やかな上りを軽快な足取りで進んでいった。


 やがて、あたりの木々が低くなり、エアハルトの翼に枝が引っかかるようになった。もう森と草原との境が近いのだろう。
「せっかくの翼も、草や低木の中を駆け抜ける時には不便なものだな」
エアハルトは、歩を緩めて翼を傷つけぬように注意しながらその中を通っていった。

 程なく森を抜けパッと視界が開けた。まだところどころに低木が見えるが、それ以外は一面の草原が上へと広がっている。その時、少し離れた場所で「キーキー」と鋭い音がし、何かがすばやく動く気配があった。おそらく突然現れたエアハルトに驚いたマーモットが、警戒の鳴き声をあげて仲間に知らせ、穴に隠れたのだろう。
「心配するな。おまえたちを襲うつもりはない」
エアハルトは、そう呟いて小さく笑った。

 草原には、あちこちに赤、白、ピンク、黄色、紫と、色とりどりの花々が咲いている。特に、ある地点から上は一面黄色の花で覆われていた。
エアハルトは、そこまで一気に駆け上がると、花の真っ只中に立ち、
「なんと美しい」
そう感動の声をあげながらぐるりと周囲を見渡した。

 その時、不意に頭上から低い声が響いた。
「ほぅ。驚いたな。こんなところで同属に会うとは」

「えっ?」
見上げると、エアハルトと同じ翼を持つ狼が、宙に浮いていた。年老いた狼で、片方の翼が傷ついているのか曲がり、その為、体を斜めに傾けてバランスをとっている。

 その狼は、唖然としているエアハルトの目の前にゆっくりと降り立った。曲がっている方の翼は完全にたたみきれず、歪んで広げられたままだ。また、翼と同じ側の後ろ足も傷めているらしく、少しひきずっている。それでも、痛みはないらしく、そのことを気にする風もなくその年老いた狼はエアハルトに近寄り、声をかけてきた。
「俺はハルトムート。おまえは?」

「あ、俺はエアハルト。ヴァルトの森のエアハルトだ」
エアハルトが名乗り返すと、ハルトムートは首を傾げ、
「エアハルト……初めて聞く名前だな。だが、ヴァルトの森というのは昔誰かから聞いたような気がする」
そう呟き、それから改めてじっとエアハルトの翼を見つめて感嘆した様子で言った。
「それにしても見事な翼だな。今まで出会った同属の中で、おまえの翼がもっとも大きい。……それほどの翼があれば、あの大地の端から飛び立ち、海を越え、その先にあるという遥かな世界を見ることができるかも知れぬな」










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