【有翼狼の伝説 第三章・天翔る探求者 2


 エアハルトはハルトムートの傷めた片翼を思い出して呟いた。
「ふむ。大鷲でさえ進むのを諦めるような強風では、あの翼で突っ切っていくのは無理だな」
それから、鷲を見つめて礼を言った。
「わかった。どうもありがとう。どうやらその獣は俺の知り合いではないらしい。……それにしても。あんたは凄いな。すでに大地の端のその向こう、海の先を行けるところまで行ったり、遥か遠くの、その風と氷の大地とやらまで行ったりしている。……一体あんたは何者なんだ?」

「俺か?」
鷲は、この正体不明の翼のある獣に逆に聞き返されたことに、面白そうに目を細めてみせた。
「俺は見てのとおりの普通の鷲だ。この湖に流れ込んでいるそこの川のずっと上流にある森で生まれ、育ち、今もそこに俺のつがいの相手が住んで、俺の帰りを待っている。……約束だからな、どこへ行っても必ず繁殖期までには戻って子育ても手伝うと。どうやら、今回は遅れずに済んだようだ」

「ほぉ、待っている相手がいるのか」
エアハルトは意外そうに首を傾けた。遥かな地まで遠く旅してきたらしいこの鷲が、普通につがいになり子育てまでしていたとは思ってもいなかったのだ。
「その相手は……よく許してくれているな。あんたがひとりで遠くへ旅に出てしまうことを」

「仕方あるまい。俺はそういう風に生まれてしまったようだからな。この翼の限りで、できるだけ遠くへ行ってみたい。この空の下のあらゆるものをこの目で見てみたい。そんな衝動を抑えきれないのだ。そして、俺の連れ、エルナというのだが、あれはそれでもいいと言ってくれた。そんな俺がいいんだと。望む夢は違っているが、だからと言って一緒に生きていけないわけではないと。共に旅することはできないが、帰りは待てる。そして、戻ってきている時間には共に子を育てようとな」
そう言って鷲は少し照れ臭そうな笑みを浮かべた。

「……そうか」
エアハルトの脳裏にふとテアが過ぎった。もしもあの時、黙って出てくるのではなく、テアに一言でも話していたら……。

 エアハルトは苦笑して首を振った。
『馬鹿な。状況が違う。テアは、つれあいにはフォルカーの後継者となって群れを率いていける牡を選ばねばならない。テアにはアマデオこそがふさわしい。俺の判断は間違っていなかった。テアの幸せはあの山での暮らしにあり、俺の望みはこの外の世界だったのだから』
そう思っても一抹の寂しさは拭いきれない。

 そんなエアハルトの表情の曇りに気がついた鷲は、遠く湖の果てを見つめ、
「帰るべき場所が、待ってくれている者があるということが、幸せなことか不幸なことか、それは俺にもわからん。そのことが、どこへ行っても俺を孤独にせず、無謀なことをさせなかった。必ず生きて帰らねばという思いが常にあったからな。おかげで俺は今もこうして無事でいる。だが……そのせいで俺はあの海の向こう、本当にあの先には行けないのかを知る機会を失った。風と氷の大地の先がどうなっているのかもわからずじまいだ」
そう言うと、今度はエアハルトに顔を向け、じっと見つめて続けた。
「もしも、更に知りたいという欲求が、エルナを悲しませたくないという思いに勝ってしまったら、その時俺は、己に課している戒めを破り、後戻りできない先へと進んで行ってしまうかもしれない。どうなるか俺自身わからん。だが、今は愛しい者との約束が俺にとって何にも代えがたい大切なものなのだ。俺は満足している。……もし、おまえにもそんな相手がいるのなら、お互いが真に何を望んでいるのかをきちんと話し合うべきだぞ」

「いや。俺には別に……」
そう言って首を振り、
「それより」
エアハルトは、鷲が始めに示した方角、大きな滝とその先に海のある方角に目を向けた。
「この方角に……巨大な滝、更に大地の端、海があるんだな。俺もまずこっちへ行ってみよう。憧れだったのだ、海というものに」

「そうか。気をつけて行けよ。おまえだと一日中飛び続けてもこの湖の向こう岸に着くのはおそらく明日の太陽が昇ってからになる。俺ほど速そうには見えないからな。だが、向こう側にある巨大な滝は恐ろしく美しいぞ。まずは雷鳴のような轟音ともうもうと立ち上る水煙がおまえを迎えてくれるはずだ。」
「それは楽しみだ。……俺はエアハルト。あんたは?」

「俺はグライフ」
「ではグライフ。いろいろとありがとう。それじゃ」
エアハルトはグライフに礼を言って、巨大な滝があるという方角へまっすぐに向かっていく。その姿を見送りながらグライフは、
「翼ある獣か。本当にいたんだな。ふむ、世界は広い。まだまだ俺の知らないことがたくさんあるようだ。……エルナにいい土産話が増えたな」
そう楽しそうに目を細め、それからエルナの待つ上流の森へと飛び立っていった。






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